先日の朝のできごとです。
東京へ行くため、早朝バスを待っていたら、年配の男性がバス停の時刻表とにらめっこ。
どこか行く感じでもない。家からさらっと出てきた感じでした。

時刻表を確認する私に、時刻表の見方を尋ねてこられました。

聞けば「これまで一度もバスに乗ったことがないので、バスの乗り方がわからない。なので、今度バスに乗って遠くの目的地まで出かけてみようと思う」と話されました。

聞けば83才。自らの意思で免許証を返納されたばかり。
これまではどこへ行くにも車だったから…とのこと。

私の待つバスが着くまで、
「連れ(お友達)が運転していて道がわからなくなった話」
「別の連れが物取られ妄想と失禁をするようになったので、遠くの病院に入院しその後亡くなったお話」
「先日近所の交番に向かって「このドロボー」と叫んでいるおばあさんに会ったお話」
・・・などを聴くことができました。

これ、ほんの数分の出来事なんです^^。

「バスに明るいねぇ(詳しいね)」と言われたけど、私も普段はほとんど車移動です。
昨日は、夫が遠方の仕事先で車が故障してしまったので、今日以降の仕事についてどうやっていこうか途方にくれていました。
バスを利用するのも、東京や車で行くことのない都市に行くために利用ことが多いです。
その頻度も1か月に1度あるかどうか。

私たちの住むような地方都市では車は必須です。
でも、最近は高齢者の事故も頻繁に報道されていると、自分が親の立場になれば「自分の子どもが事故に巻き込まれてほしくない」と強く思いますし、子ども側の立場に立てば「親の運転は心配だけど、返納した後の生活がどうなるんだろう…」という気がかりもあります。

明らかな認知症になる前は、判断が本当に微妙です。
決めつければプライドが傷つきますし、意固地にもなってしまい、関係がこじれます。
高齢者の家族が事故を起こされた方も様子をみながら伝えたり、対立したりしてきていることが多いと思うのです。

第三者になれば批判もできるし、「返納すればいいじゃん」という話になります。
私も自分から遠い話であれば、そうなります。

けれど、高齢者の人口は日本の総人口の27.3%、そして多くの方の「お身内」の話なんです。
ニュースでは無関係の人。だけどその方には家族や親戚がいます。

「当事者」という視点を持つことは、相手を理解する上でとても大事です。

明日は、自分自身が、
自分じゃなくても親が、
親戚が、祖父母が・・・、
という意識を持って、こういうお話を伺いたいな~と思っています。